『スウェット(2020)』

映画『スウェット』(2020)

監督:マグヌス・フォン・ホーン(Magnus von Horn

原題:SWEAT

 

スウェーデン映画祭2016で『波紋』が上映されたマグヌス・フォン・ホーン監督の長編2作目。「カンヌ2020」に選出され、2020年の東京国際映画祭でも上映された(「TOKYOプレミア2020」枠)。本作で撮影を担当しているMichal Dymekは、今年のカンヌ国際映画祭のコンペに選出されたイエジー・スコリモフスキの新作で撮影を担当。

 

動画配信サイト「JAIHO」にて鑑賞。(4月24日まで配信

 

SNSで60万人のフォロワーを持つフィットネス界のカリスマ的インフルエンサーの女性が主人公。と聞いて、スキャンダラスで退廃的な「派手さ」にまみれた露悪的な内容を想像していたが、本作で描かれるのは社会を風刺する大きな主張ではなく、個人のささやかな尊厳の重さ。ダルデンヌ兄弟的な感触さえする。

 

シネスコなのに手持ちで随分と人物に寄るカメラ。それなのに、被写体の内面には入っていけそうにない。SNS空間が持っているスクリーンという境界を感じさせ続ける映像。観客が観ているのはスクリーンの向こう側のはずなのに、「スクリーン上の世界」に圧され続ける登場人物は、望まぬ虚実の倒錯に翻弄される。しかし、本作はそれを茶化したり蔑んだりしない。そっと寄り添い、そっと追う。

 

【物語の展開に触れます】

 

シルヴィアのストーカーとして登場する中年男性は、駐車場でシルヴィアに自慰を見せつける。そのストーカーを成敗して来た同僚男性は、シルヴィアを誘うべく自慰を始める。目の前に対象がいるにも関わらず、彼らが触れているのは自分自身。つまり、彼らが眼差すのは、シルヴィアという実体ではない。虚像が「実像」化したときの、実体の空虚さ、所在無さ。

 

個人の不安や弱さを排した「完璧」という虚像によってもたらされる人気。だから、シルヴィアが個人としての内面を吐露することは禁忌であり、あくまで「タイアップ」に必要なのは「イメージ」の造成と維持。そこに涙など存在してはならない。インスタに演出抜きの感情など生えてはならない。

 

虚しさの限界に立ち竦むシルヴィアにとっては、悔恨を涙ながらに吐露するストーカーの姿は、孤独を共有できる稀少なフォロワーだったのかもしれない。虚像への執着に追いつめられた実像の叫びの追随者。そんな彼への救済は、単なる利他的行為ではなく、むしろ禁じられた「利己」への復讐だったのだろう。

 

ガラス張りの高層ビルに歴史的建造物が映っている。空が狭い都市空間において、空の映り込みで「空」を広くしようとするガラス張りの高層ビル。しかし、それは空ではない。発信は受信した時点でもう写しに過ぎない。反響の多さは、元の音を小さくさせる。

 

想像力をもつ人間にとって嘘をつくことも一つの能力であり、社会的存在として必要な営為であるならば、演じることは避けられない。しかし、実像がなくなってしまっては、もはや演じ続けることはできない。虚像を求める私たちが知りたくない実像は、隠され続けるほどに強度を増して、いつしか虚像を破壊する。しかし、超克した実像が渇望するものは、次なる虚像であることも必定。

 

マグヌス・フォン・ホーン監督作(短篇)「Echo」