『映画はいつも「眺めのいい部屋」  政治学者のシネマ・エッセイ』村田晃嗣

『映画はいつも「眺めのいい部屋」  政治学者のシネマ・エッセイ』村田晃嗣

 (ミネルヴァ書房、2022)

 

 本書のカバー袖にある紹介文は以下の通り。

「映画をあまり見ていない読者に向けて、政治との関わりを手掛かりに映画の楽しさと奥深さを伝える。新旧の映画を織り交ぜ、権力と反権力の関係、家族や宗教、そしてスポーツも含めた社会、日米の銀幕を彩ったエピソードから世界を見通す。国際政治学者だからこそ描ける世界感原文ママ、とびきり痛快な映画論。」

 

 「はじめに」で筆者は、知識的にもテーマ的にも筆者の個人的な性向によって偏っているとの断った上で、「本書のような欠陥品のほうが、シネフィルの批判精神や自己顕示欲を強く刺激するかもしれない。そのことで映画をめぐる議論が広がり、深まれば、本書はその目的を十分に果たしたことになる」と書いている。とはいえ、筆者が幼い頃から一貫して映画を愛好し続けて来たことは、その語り口や思い出話から十分伝わってくる。シネフィル的な自認を持たずに「映画ファン」として映画に伴走してきた筆者のスタンスは、私にとって極めて読みやすく、だからこそ筆者なりの解釈なども素直に受け取りやすかった。

 

 確かに、筆者自身が言うように、映画の専門家として語る訳でもなく、研究対象として映画を語る訳でもないので、随分と羅列的でダイジェストな語りになりがちではあるが、「箇条書き」というよりは、「そういえば」的なリレーで記されていくので、文章を介して読む映画紹介、映画史的探訪をたっぷり楽しめる。それは、自分のなかの記憶や経験と呼応するようでもあるからだ。紹介される作品はマニアックではないが、そこまで拾って来るのか…と感心するようなものもあり、知っている作品(観ていなくとも)が大半である喜びと共に、自分の中でバラバラだったそれらに新たな「コンテクスト」が与えられることによる発見は貴重な気がする。しかも、そのコンテクストは映画評論家やシネフィルが好むそれとは違って、時に素直な連関連想であったり、時に政治学者ならではの発想であったりするので、確認と発見の往来をたっぷり味わえる。

 

 本文中では、アカデミー賞カンヌ国際映画祭などにおける「受賞歴」への言及が実に丁寧(網羅的)なのだが、筆者が政治学者だけに、そういった賞レースなりコンペの世界における政治力学的なものへの考察がもう少しあれば、より興味深い内容になった気もする。(が、そういった町山智浩的なお喋りがないがゆえの読みやすさもある。「米アカデミー賞の魅力」という一章を割いて、賞レースへの多少の考察はある。)

 

「第5章 家族の意義」内の「3 映画の中の親子」では、是枝裕和そして父になる』をはじめとして、映画の中での親子の描かれ方に注目している。そのなかで筆者は、主人公野々宮(福山雅治)が体現しているのは「能力主義血統主義であり、独断と偏見のもとに論じれば、この組み合わせはナチズムと同じである」と指摘している。そして、野々宮の改悛がナチズムの敗北とも重なるとする。その指摘を読んでふと思いだしたのが、同作がカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した際の審査委員長がスピルバーグであったという事実だ。

ちなみに、その時の審査員には河瀨直美もいた。そして、河瀨は以前、是枝との「往復書簡」を映像作品として発表していた(『現しよ』1996年)。河瀨の初期代表作である『につつまれて』は、河瀨自身の生き別れた父親(血縁関係における父)を探すドキュメンタリー。

そして父になる』は、作品の外でもさまざまな歴史や家族の共鳴を起こしていたようだ。(河瀨が後に『朝が来る』を撮ったのも、そうした“残響”によるものかもしれない。また、今月はじめには、是枝が早稲田大学の入学式で、河瀨が東京大学の入学式で、それぞれ「祝辞」を述べるなど、何かと因縁のある二人のようだ。カンヌからの寵愛は二人とも受けている。)

 

 筆者は、「西洋の映画では父子の関係を描いた作品が印象に残る」のに対して「邦画では母子関係が主軸であろう」と指摘しているが、私の個人的な印象では、アメリカは父子関係を扱うことが多く、ヨーロッパは母子関係が中心のように思う。これは家族や社会の紐帯として「民族」の位置づけが、アメリカとヨーロッパでは違っているからのように思われる。移民による多民族国家としてのアメリカを束ねる「母性」は存在せず、抽象的概念的な「父性」の象徴(例えば、国旗や国歌)の下に団結を醸成してきた。ヨーロッパの場合、カトリックの強い国では、「母子関係」の描写がより色濃い気がする。いずれにしろ、今や強固な家父長制は、ドラマの中心というよりも、ドラマを駆動する「障害」として登場する印象が強まっている。

 

 筆者はロナルド・レーガンについての研究者でもあるとのことで、随所に彼の名前なり彼を通しての考察などが垣間見られ、それが実に興味深く、面白い。また「ゴジラ」映画をめぐる考察は、国際政治的な観点を活かして掘り下げられた考察が展開していて、映画ファンの「界隈」を痛快に突破する発見が多々あった。本書で取り上げられたテーマから、筆者が得意とする、あるいは強い興味関心のあるテーマを選び、より深掘りした本が書かれたりしたなら、是非読んでみたい。