光陰礼賛——モネからはじまる住友洋画コレクション(泉屋博古館東京)

住友コレクションの一角を占める近代洋画は、住友吉左衞門友純(春翠)が明治30年(1897)の欧米視察中のパリで印象派の画家モネの油彩画2点を入手した事に始まりますが、その一方で同時代のジャン=ポール・ローランスなどフランス・アカデミーの古典派絵画も収集しました。19世紀末のフランス絵画は、印象派の台頭とともに古典的写実派が次第に衰退していく様相を示すことになりますが、住友洋画コレクションには同時代の印象派と古典派の作品がともに揃って収集されているところに特徴があります。泉屋博古館東京Webサイトより)

 

「光」を追い求めた印象派、「陰」影表現による実在感を追究した古典派、その双方を有する住友コレクションを、それらから影響を受けた日本の近代洋画の数々と併せて紹介するという企画。各画家の絵画は1・2点ずつの展示ではあるが(浅井忠の水彩画は5点、岸田劉生も5点ある)、蒐集の背景(=物語)を想像(というか、ほとんど妄想)しながら鑑賞するという楽しみもある。

 

陰影礼賛ならぬ光陰礼賛。「歳月にも思いを馳せ」て欲しいとの思いをタイトルに込めたように書かれていた。第4展示室の「特集展示:住友建築と洋画——洋館には洋画がよく似合う」では、住友家の須磨別邸の模型や写真、そこに飾られていた絵画の情報(豪華な贅沢ラインナップ)などを眺めては、そこが1945年6月の空襲で絵画ともども全焼したとの事実を知り、人間の営為は歳月の所産を狂わせていることを思う。

 

そんな戦闘の裏面に思いを巡らせる一枚、ジャン=ポール・ローランスの「マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち」には深い感銘を受けた。フランス革命の英雄でもあったマルソーの遺体の足もとには、敵国オーストリアのカール大公が項垂れている。故人を悼む想いが充満した空間には皆の傷みが刻印されている。まさに絵画全面が影に蔽われている。その絵の大きさがゆえに、目の前に光景が実在しているかのような感覚になる。

その横に同じくローランスの「年代記」と題された絵が展示されているが、そちらには窓から射し込む陽光が描かれている。古典派絵画の写実は「光」を実体として描こうとしたのに対し、印象派は光そのものではなく光に浴する世界の諸相をこそ描こうとしたのだろうか。などと、ふと思う。

 

ローランスのその二枚では、画面をとにかく「赤」が支配している。それは展示されている日本の近代洋画にも共通するものがあり、対照的な青や緑、白が際立つ印象派絵画との差異を余計に感じさせる。こうして眺めていると、確かに「光陰」の二面が浮かんで来る。写実(客体の在り方)にこだわった古典派においては人間(血)や文明(儀式)の象徴とも思える赤が多用され、人間の視覚(主体の意識)を追究した印象派においては自然の象徴とも言える青や緑が多用される。そうした交錯は興味深い。

 

泉屋博古館東京は「ぐるっとパス」で入場できるので、近くの大倉集古館(こちらも同パスで入場可)とあわせて坂道都市を散策しながら長閑な時間を過ごすのも清涼なひとときとなった。