『夜を走る』佐向大

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ソーシャル・ディスタンス。付かず離れず。関係と無関係のあいだ。

 

〈他者〉が〈自己〉にとって持ち得る意味。それによって自分が相手をどう思っているか、相手が自分をどう思っているか、それを知る。自分自身に空虚を感じている場合、そうした関係性から自分が自分をどう思っているかを知ろうとする。本作の登場人物たちは、相手に対しておぼえる優越感によって自己を肯定している。自己を肯定するために必要とする〈他者〉。

 

家庭が面白くなく不倫しても虚しい男(玉置玲央)は、独身の先輩の虚しい人生によって何とか自分を肯定しようとする。新人営業の女性(玉井らん)は取引先の冴えない中年男性(高橋努)の誘いに乗ることで、自分の価値を感じ、相手の無価値を確認した。そんな彼女が、秋本(足立智充)からの連絡先交換を拒絶する。「利用価値」すらないと断じられた秋本は、自我の支柱が手折られる。(秋本もジーナ(山本ロザ)を不幸だと思い込むことで、自分の価値を担保していたことが後で判ってくる。)

 

自分の人生を新たに「デザイン」しなくては。自我の回復、自己の充足を求めて集まった人々は、隣の人と手を繋ぐ。しかし、一体化を許す相手の価値は、それを許さぬ相手への強い排斥によってこそ強固なものとなる。〈他者〉の強烈な否定こそが、〈自己〉への揺るぎない肯定をもたらす。どんなに閉塞的で自己完結的に見える共同体においても、いやそういった場でこそ、〈他者〉は絶対に必要な存在なのだ。

 

秋本(足立智充)や谷口(玉置玲央)が見る「己の幻像」は、自分のなかの一部が〈他者〉化したり、〈他者〉が自分の一部に侵入したりした結果かもしれない。関係性からしか自己を規定できないとき、規定に必要な〈他者〉はもはや〈自己〉の一部であり、自己認識の足場になってしまっている。車は動いていなくとも、周りが動いていれば「動いて」しまう。夜を走っていたつもりが、夜に駆られていただけなのかもしれない。そうして、個人は社会に狩られ、生け捕られていく。