『瞬間』ヴィスワヴァ・シンボルスカ(未知谷)
1996年にノーベル文学賞を受賞したシンボルスカが、受賞後はじめて出版した詩集が本作だという。どの詩も静謐さと重厚さをたたえながら、軽やかな語りを拒んでもいない。
裏表紙にも印刷されている「とてもふしぎな三つのことば」は、三つの文から成る。
「未来」と言うと
それはもう過去になっている。
「静けさ」と言うと
静けさを壊してしまう。
「無」と言うと
無に収まらない何かをわたしは作り出す。
言葉の持つ力、その力を持て余し、翻弄される人間の悲しみを思う詩集最後の一篇「すべて」では、「すべて」という言葉を使う人間に対して次のように記している。
何ひとつ見逃さず
集めて抱え込み、取り込んで持っているふりをしている。
ところが実際には
暴風の切れ端にすぎない。
私が一番好きな詩は奇しくも、訳者の沼野充義氏と同じだった。その「魂についての一言」には、次のような一節がある。
喜びと悲しみ
これは魂にとって別々の感情ではない。
この二つが合わさったとき初めて
魂は私たちの中に宿る。
魂をあてにすることができるのは
私たちが何事も自信が持てず
なんでも面白いと思うとき。
私たちに容易く居ついてくれない魂なのだが、それでは魂とは私たちにとって絶対的な支配者なのかというとそうではない。
どこからやって来たのか
どこに消えていくのか、教えてくれない
でもそういう質問を明らかに待っている。
どうやら
私たちが魂を必要とするのと同様に
魂のほうも
私たちを必要としているようだ。
魂は人間を超越し、人間とは区別されたものではなく、人間がいることによって在るものなのだろう。そして、それは言葉も同じであり、人間が生みだしたものでありながら、人間を超えている。しかし、人間がいなければ在りえない。ところが、人間が魂や言葉にとって完全な存在になり得ることもない。
本書には、詩一篇ごとに沼野氏による「解題」が付されているのだが、単なる解説や翻訳ノートに留まらず、沼野氏自身の考察や想いが些か直情的に記されており、詩を読んだ後に互いの感想を語らっているような気分を味わえる。そしてもう一度、詩を読み返す。今しかない「瞬間」に、未来が過去となる豊かさを味わう。