『時ありて』イアン・マクドナルド(早川書房)

時ありて | イアン・マクドナルド, 下楠 昌哉 |本 | 通販 | Amazon

原題:TIME WAS(下楠昌哉 訳)

 

「古書ディーラーのエメット・リーが、閉店する書店の在庫の山から偶然手にした詩集『時ありて』。凝った造本の古ぼけた詩集には、一枚の手紙が挟まれ、エジプトで書かれたと思われるその手紙には、第二次大戦下を生きた二人の男、トムとベンの人生の破片が刻まれていた。エメットはその手紙に隠された謎を追ううちに、二人の男の人生の迷宮を彷徨うことになる。

英国SF界きっての技巧派として知られるマクドナルドが、歴史の襞に取り込まれた男たちの人生を綴った傑作。」

 

「時を超えて彷徨う二人の男の物語。英国SF協会賞受賞作」とのコピーを読んで、本書を読み始める。時を超える二人の男について知ろうとする主人公は時を超えられないが、空間を超えるように電子ツールを駆使する。そこで収集された情報が時を駆け巡っては、トムとベンの後を追う。SFという響きからは、未知なる装置による現象を想像するが、本書におけるそれは、そうした印象とは一味違い、詩情揺蕩う淡々とした旅路。150頁ほどの単行本に収められた中編は、時空を何度も超える重層性をたたえつつ、あくまでも一つの場面として切り取られた主人公の心の旅。

 

主人公のいる時空は現代なのだが、文体のせいか、クラシカルな佇まいが物語全体を包んでいる。古書ディーラーという職業の現代性も、扱うのが紙の本、そして古書という点で、容易く時空を超える電子の世界とは対照的なアナログな手触りを遺してる。そうした相反する性質のすれ違いと交差するかのように語られる、手紙のなかの物語。そして、その手紙が挟まれていた詩集『時ありて(Time was)』。そして、その物語のタイトルは、『時ありて(Time was)』。時間はいくつも内包され、過去(was)となった存在(being)は、現出することで新たな生を受ける。時とは絶対的に存在するのか。それとも、人がいるところに時は存在するのか。時が主語である詩集には、人が主語となる物語の扉があった。

 

本書の物質感は掌中に幸福をもたらす。中編独自の厚さというか薄さ。カバーを外すと現れる本体の色。不釣り合いなまでに太いスピン。店舗を持たない(実物と触れる場のない)古書商が主人公であるのに、いやそれゆえに起ち上がってくる本や紙の実在感。その「反動」を凝縮したかのような存在になっている物体としての本書を愛おしく感じつつ、掌中の書物を見つめ続けた数時間だった。