「PICU 小児集中治療室」第5回

(2022年11月7日月曜放送) 脚本:倉光泰子

PICU 小児集中治療室 第5話>悠太、緊急搬送される 志子田が抱え ...

 

武四郎(吉沢亮)の幼い頃からの親友・悠太(高杉真宙)が大量の睡眠薬を飲んで緊急搬送されてきた。武四郎は悠太が自殺を図ったとは信じたくない。しかし、悠太からの荷物(先日武四郎から借りた服が入っていた)が武四郎に届き、そのなかに武四郎宛の手紙が入っており、そこには自ら命を絶つことを示す言葉が書かれていた。それを読んだ武四郎は、「ふざけんなよ」「最低だよ」「本当に見損なった」と言って手紙を握りつぶして叩きつける。そこに母親(大竹しのぶ)が入ってくる。

 

PICU』武四郎(吉沢亮)&母・南(大竹しのぶ)のセリフが ...

 

武四郎は言葉を吐き捨てる。

「生きたくても、助けたくても、あの子たちがあんな頑張ってんのに、あいつ自殺しようとしたんだよ。最低だよ。本当に見損なった。」

 

母親は武四郎に向かって語る。

「でも、悠太の命は、あんたのもんじゃないよ。」

「いくら苦しくっても、生きたいって思える人もいる。でも、その反対の人だっているの。」

「私だって悠太大好きだよ。死のうと思ったなんて、悲しいよ。でも、悠太の命は悠太のものだから。あたしたちのものじゃないから。見損なうんじゃ無くて、悠太のこれからを一緒に考えてあげな。」

 

「見損なう」というのは字の通り、本来は「見誤る」「見間違う」ことを表していた言葉で、それが「評価をあやまる」の意で、現在多くは「価値がなかった」との述懐として用いられるようになっている。しかし、「損な」ってしまった(誤った)のは、評価する側である自分の方である。だから、この言葉の奥には、相手の内面を推し量りきれなかった自分への口惜しさや戒めの思いが潜んでいるようにも思える。実際、そうした自責の念から逃れようとする気持ちが、悠太の自殺を信じたくないようにさせている。そして、自分たちの仕事である医者としての矜持を楯に、その心理を正当化しようとしてもいる。そんなすべてを見通している母親の言葉の優しさは正しく強い。

 

たとえ自殺でなくとも、人の死に、周囲の人間が自責の念や罪悪感などを感じてしまうことは少なくない。でも、そうした気持ちの根には「自分がその命をどうにかできたのではないか」といった発想があるだろうし、「相手の命に関与しきれなかった(もっと関与できたかもしれない)」といった悔恨が確実にある。それ自体、既に本人の存在を尊重しきれていないのかもしれないが、そうでも思わないと受けとめきれない現実だからこその対症療法でもあるのだろう。

 

「でも、悠太の命は悠太のものだから。あたしたちのものじゃないから。」

 

生きている間に何か力になることが出来たとしても、亡くなってから悼むにしても、その人の命はその人のものであるという観念は、本当は双方にとっていちばんの救いなのかもしれない。

 

自殺(今回は未遂だけれど)を描くとき、どうしても「君の命は君だけのものじゃない」といった言説で「命の尊さ」よりも「絆を尊べ」と諭そうとするドラマが多いなか、とても真摯な言葉を聞けた気がする。