『ハンナ・アレント 全体主義という悪夢』牧野雅彦(講談社現代新書)

今を生きる思想 ハンナ・アレント 全体主義という悪夢

 

アレントをまだ一度も読んだことのない人に、そのエッセンスをわかりやすく説明する」という編集者から与えられた課題に応えるように、100頁ほどのコンパクトに凝縮された内容は、アレントが語った全体主義の本質に触れる好機を与えてくれる。

 

一気呵成に書き上げられたかのような本書は、アレントの思想そのもののとば口へと引き寄せる。本書には「全体主義という悪夢」という副題も付されているが、必ずしも全体主義といった大きな枠組を解明するに留まらず、それらを構成する(あるいは産出する)個人の有り様を、アレントの思想から描き出す。

 

アレントのいう「大衆」の解説において筆者は次のように述べている。

「互いに無関係な人間が寄せ集められ、塊のように積み重なっている。物理的に近接していても、お互いのことを知らないし関心をもたない。隣にいた誰かがいなくなっても気にも留めない。満員電車や都会の雑踏でわれわれが日常的に目にしている光景から、貨車に押し込められて絶滅収容所へ送られるユダヤ人との間の距離はそれほど遠くないかもしれない。」

 

また、アレントの『過去と未来の間』から次の引用がある。

「しばしば指摘されていることだが、長期にわたる洗脳状態から確実にもたらされるのは一種独特のシニシズムである。すなわち、いかなる真理であれ決してそれを信じないという態度、どんなに明白に立証された真理でも決して真理とは認めないという態度である。」

 

「共通世界」とは本来、「不確実な行為を支えて、一人一人の行為と人生に意味を与えるもの」であると筆者は指摘する。物理的に極度に群集化した大衆(前述の満員電車や雑踏のように)は互いへの不信や警戒を強め、より閉塞的な個人を産み出すが、それは他者の侵入を拒むための境界の強化でありながら、それによって現出する密閉空間の孤立に耐えきれず、自らが聞きたい音で埋めつくされたエコーチェンバー的空間を形成する。そうして得られた疑似「共通感覚」において、根源的な他者は存在していない。したがって、根本的な虚無感としての孤独は一向に解消されない。そこにはただ物理的に時間が流れ、意味的次元においては時間は一切蓄積されない。自分の外に他者を失い、自分の内にも他者が生起しなくなったとき、人は真理を求めなくなるだろう。違いや変化を超克する普遍や不変によって乗り越える不安や葛藤を持たなくなってしまう。「共通」ではない同質という幻想によって「塊」化した全体は、もはや部分をもたず、空費され続ける安寧を貪り続けるだけとなる。
 

*本書の巻末に収められた「読書案内」によると、アレントの『人間の条件』は講談社学術文庫から来年(2023年)に著者(牧野雅彦)による翻訳版が刊行される予定とのこと。