『自殺の思想史』ジェニファー・マイケル・ヘクト(みすず書房)

自殺の思想史――抗って生きるために | ジェニファー・マイケル ...

 

筆者は、自分の友人の自殺を契機に、現代の私たちが生と死に対してどのような認識をもっているかについて歴史と哲学の観点から研究を進めていった。それを発展させ、自殺がどのように社会で、学問や芸術の領域で考えられてきたのかを分析することで、自殺という選択に抗することのできる論理を探究しようとする。

 

前半は、古代から近代に至るまでのなかで自殺をめぐる認識の歴史が綴られている。ソクラテスの最期が自殺として取り上げられたり、イエス・キリストの死も自殺と呼べるとする説が登場する。究極的な個人的行為のように思える自殺(だからこそ否定されやすくもある)にも、背景(状況)によって異なる「スケール」があることを発見する。しかし、そうしたものはやはり例外であり、それゆえに肯定や称賛の対象にもなり得る場合があるものの、宗教の普及によって、自殺は明確に否定され、厳格に処罰の対象となっていく。

 

しかし、宗教的権威の衰退、啓蒙主義的気運の高まりと共に、自殺を擁護する論理も台頭してくる。18世紀のイギリスにおいては、自殺は医療の対象となる。自殺者のほとんどが精神異常と判断され、精神錯乱が医療の対象とされたからである。「医師らの意見がこの変化を先導し、かつては法で裁かれていたさまざまな人間の行動が医師による治療の対象とされた」という事態は、まさに近代化の象徴とも言える。

 

筆者は自殺を否定する根拠として、他者への影響を挙げる。したがって、自殺の共同体に与える影響も考察の主要なテーマだ。そのなかで紹介されているデータで興味深かったのは、米国軍人の自殺に関するもの。いわゆるPTSDによって苦しむ軍人(退役軍人)が自殺に及んでいると考えられがちだが、実際には、自殺者のうち一度も派遣されていない軍人が三分の一近くもいるというのだ。

 

後半は、さまざまな学者や作家などによる自殺否定論を紹介しているが、なかでも表現の巧みさに納得したのが、ショーペンハウワーの次の一節。

「彼がそれから懸命になってのがれようとしていたその苦悩こそ、意志を禁圧して、彼を彼自身の否定ならびに解脱へと導いてくれるはずのものであったから、この点からいえば、自殺する人というのは、ある苦しい手術を受けている病人が、手術で根本的に治療されうるはずだったのに、手術がはじまってから途中でそれを中止して、好んで病気のままでいることを選ぶようなことだと言えるだろう」。

他にも、自殺が根本的に本質的な苦しみの解決にならないといった論理に基づいた否定論も多い。つまり、苦しみから逃れたくて自殺するのであれば、それは自殺によって達することができないのであり(死んでしまっては苦しみがなくなった状態を享受できない)、したがって自殺という手段は有効でも賢明でもないということだ。ただ、そういった至極真っ当で合理的な説明が、ある種の錯乱状態にある人間の耳に届くかといえば、また話は別であろう。しかし、実際のデータを示すと、そういった説明の当否は明らかかもしれない。1937年から1971年のあいだにゴールデンゲートブリッジから飛び降りるのを止められた515人を1978年に調査したところ、94%が存命か、亡くなっていても自然死だったというのだ。更に、飛び降りたが死ななかった人のうちの数名は、飛び降りた直後に決断を後悔したと述べたともある。

 

終盤には映画『素晴らしき哉、人生』についても引用されている。これを出されると、もう議論は終了してしまうだろう。ということは、自殺を否定するためには、人生の肯定が不可欠なのだ。原題は、It's A Wonderful Life。つまり、人生=生命を素晴らしいと思えたとき、生きるという選択に踏みとどまれる。(本書の原題は、「STAY A History of Suicide and the Arguments Against It」。)しかし、素晴らしさとはワンダーに満ちている。自分では窺い知れない、知り尽くせない。脅威ではなく驚異として享受できるまで、もうちょっとだけ生きてみよう。