『スマホ・デトックスの時代』ブリュノ・パティノ(白水社)

スマホ・デトックスの時代 - 白水社

 

表紙に浮かぶ金魚。副題も、「金魚」をすくうデジタル文明論。(ちなみに、本書の続編タイトルは「金魚鉢の中の嵐」らしい。)

ある実験結果によると、金魚が継続して集中できる時間は、八秒未満。つまり、金魚は八秒後には別のことへ関心は移り、金魚の精神世界はリセットされるというわけだ。その実験者は、物心ついたときから常時オンライン状態にあるミレニアル世代の注意持続時間は九秒間だという。「九秒を超えると、彼らの脳の働きは低下するので、新たな刺激、シグナル、警報、勧告が必要になる」というのだ。「この九秒間をどう克服するかが、巨大企業グーグルの挑戦である」と本文は続くのだが、そこで私は若年層ほどTikTokを愛好する理由がわかるように思った。その短さは、制限や窮屈さではなく、解放であり安堵なのだろう。私にとってはTikTokとは「ちょっとした動きのついた画像」という印象なのだが、あれで十分「動画」だと思える感覚の根底には、時間の「単位」の違いがあったのかもしれない。

 

本書で紹介されている、バラス・フレデリック・スキナー教授のネズミの実験が興味深い。

 

ボタンを押せばネズミの好物の餌が出てくる仕組みにネズミを置くと、ネズミがその仕組みを理解した後には、空腹時にしかボタンを押さなくなる。しかし、ボタンを押した時に出てくる餌の量を変化させると(多いときもあれば、少ないときもあり、全く出てこないときもある)、ネズミは狂ったようにボタンを頻繁に押し続けるようになる。この実験結果からわかるのは、不確実性は飽きや落胆ではなく強迫観念を生み出し、中毒症状へとつながるということだ。ドーパミン分泌を貪ってスマホ漬けの暮らしを送るのも、ランダムな報酬系が行動への極端な偏向性をもたらしているからなのだろう。

 

「ウェブの当初の形式は、平等な接続が基本だった。誰もがあらゆる情報と知識にアクセスできるこの分散型システムでは、全員が同等の権限を持つという想定だった。今日、インターネットでは、監視する者(国や、データを渇望する企業)と、監視される者というように二分されている。完全な平等を目指したインターネットでは、これまでにない非対称性が生じている。」(55頁)

その後、筆者はデジタル空間に「領土」という表現を用いている。「土地」は、文明の発展と共に、その在り方が変遷する。無意識無自覚に営まれていた民主的な生活が、やがて中央集権的な国家へと変わっていった歴史に、インターネットは数十年(十数年かも)のうちに呑み込まれ、実際の領土以上に厳密な監視下統制下に置かれている。

 

2018年のアメリカ人への調査で、デジタル器機の画面を一日に眺める時間は、12時間04分。筆者曰く「デジタル器機に費やす時間は人生の半分だ。人生の半分が儲けの対象になり、商業化されたのである」(88頁)。

 

本書の終盤では、フェイクニュースの話題やジャーナリズム不信の蔓延へと議論が発展していく。現在進行の事態であるがゆえに、引用の羅列になりがちであり、筆者自身も「結論」を出しかねているように思えるが、最後に「金魚文明から脱却する」ための四つの闘いが提示されている。

 

1.誤った闘いに身を投じないために、間違った考えと闘うこと。

2.インターネット巨大企業に、現在のプラットフォームの仕組みを見直させること。

3.プラットフォームの法的枠組みを熟考すること。

4.アテンション・エコノミーに与しないデジタルサービスを発展させること。

 

「補遺」として添えられた次の文章は、本書の根底にある主張であろう。

 

「フランス金魚組合(実在の団体)によると、群れをなして暮らす金魚は、寿命が20年から30年、体調は20センチメートルに達するという。一方、鉢での飼育は金魚の死亡率を上げ、社会性を破壊するという。」(165頁)