『地中海熱』マハ・ハジ

原題:Mediterranean Fever

監督:Maha Haji

 

東京フィルメックスにて鑑賞

 

長編一作目、二作目(本作)と続けてカンヌの「ある視点」部門で上映されたマハ・ハジ監督は、本作で脚本賞を受賞。プロットの妙というより、一つ一つの描写を丁寧に積み重ねていく物語づくりには、退屈と紙一重な停滞感がありつつも、その淡々さに最後まで付き合うことができると、全体像が朦朧としつつも浮かび上がってくる。ただ、精巧に作ろうとしていないため、全体に散りばめられたピースは観る側が拾い集めねばならない。

 

「地中海熱」というのは、主人公の息子が診断された病名。その息子はしばしば学校で体調を崩し、父親である主人公は学校に迎えに行かねばならない。それが毎週火曜に起こっていることを娘に気づかされ、息子と話していると、どうやら原因は「地理」の授業にあるらしいことが判明。「授業中に、エルサレムが首都の国をパレスチナと答えて笑われた」という。主人公はパレスチナ人。

 

そんな主人公自身も鬱状態でカウンセリングに通っている。銀行勤めを辞め、小説を書き始めたものの、なかなか作品を書き上げることができない。そんなとき、隣に引っ越して来た男と親交を深め始める。その男は裏社会との繋がりがあるらしいことから、主人公は「ヒットマンを雇いたい」と申し入れる。撃って欲しい相手が自分自身であるということを伏せながら。

 

隣人の男は主人公に向かって「おまえは噓がうまいな」と言い、「その想像力を活かして物語を書けばいい」と諭す。この「噓」と「想像力」という虚構の両義性に、本作の核心はあるのかもしれない。「噓」とは何かを隠すためのもの。主人公の息子がそうであった通り、他者に知られたくないことを匿うための覆いであり、それは自らを閉ざす方へと向かう。一方、想像力とは現実から羽ばたくためのものである。どうしようもない現実(たとえば、それはイスラエルパレスチナの問題もそうかもしれない)は変わらずとも、その呪縛から解放されて、自分が望む世界の地平を見せてくれる。噓で小説は書けない。小説は、真実の本質を描くために必要なもう一つの次元であって、噓ではない。噓は徹頭徹尾、現実に縛りつけられてしまうものなのだから。果たして隣人の男の最後の決断には、どんな噓と想像力の力学が働いたのだろうか。

 

Mediterranean Fever (2022) - IMDb