『冬の旅』アニエス・ヴァルダ
原題:Sans toit ni loi(英題:Vagabond)
監督:Agnès Varda
本作は、主人公であるモナの死体が発見される場面から始まる。そして、彼女と出会った人々の証言に導かれながら、彼女の旅路が映し出されていく。彼女の末路は前提となるも、旅の始まりは全く描かれない。その背景すら定かでない。でも、それは、彼女がほとんど語ろうとしないから。彼女の口からはひたすら自由を希求する言葉が発せられるが、その背後には束縛への強い嫌悪感が常に滲んでいる。何があったのか、何を指しているのかは、観客が察するしかない。それは、彼女と接した人々も同様だ。だからこそ「証言」はさまざまなのだが、女性の多くは彼女への共感や羨望が心の底にある。
原題は「屋根も法もなく」といった意味らしいが、屋根も法も人間を固定する(留めさせる)ものだ。その場しのぎでその日暮らしをしているモナの生き様は、固定されることからの解放を果てしなく渇望しているよう。「留まる」ことによって可能になる定職や定住は、一定の安定をもたらすものの、そこには犠牲も伴う。その犠牲に麻痺してこそ、留まっている現状を肯定できるのならば、そうした犠牲から免れ続けるモナの出現は、平穏な秩序の破壊をもたらす。だから、屋根と法のあるところで彼女の存在は「不可視」となる。しかし、屋根と法の恩恵に浴さぬ者たちは、それらを捨てたモナに思わず手を差し伸べてしまう。
ただ、彼女は常に屋根と法のある場所から衣食住を得なければならず、そうした彼女にも犠牲は付きまとう。そうした「不自由さ」が、彼女から自由を遠ざける。清潔といった秩序の枠組みからの解放が、彼女の心の安寧をもたらさない。原形を「留めない」彼女のブーツは、彼女に自由をもたらさない。日常からの解放たる祭りから受ける「奇襲」に彼女はひたすら恐怖を覚えてしまう。
今と此処だけで生きようとした彼女には、帰る場所も行き先もなかった。生きている間だけが生であるという現実を体現しようとした彼女が野垂れ死んだという結末(そして、前提)は、過去と未来で今を固定する生き方が推奨(あるいは強要)される社会が提供する屋根と法の「在り難さ」を物語っているのかもしれない。