『みんなが手話で話した島』ノーラ・エレン・グロース(早川書房)

みんなが手話で話した島 (ハヤカワ文庫NF) | ノーラ エレン ...

 

現在では有名なリゾート地となっている、アメリ東海岸マサチューセッツ州のマーサズ・ヴィンヤード島。そこでは、20世紀初頭まで、遺伝性の聴覚障害をもつ人が多く存在し、誰もが(聾者、健聴者かかわらず)ごく普通に手話を使って話していたという。そうした実態を、著者がフィールドワーク(島民とのインタビューや各種資料の調査など)によって、丁寧に詳らかに浮かび上がらせていく。

 

前半(というか、本書の結構な分量を割いて)、ヴィンヤード島で聾者が多く見られた背景についての学術的な分析が行われている。遺伝性であるとはどういうことか、遺伝の発現実態から判明する人の動きがどのようなものであったか、等々。きちんと読めば発見も多々ありそうではあったものの、私はそこは飛ばして、後半のインタビューの数々を興味深く読んだ。

 

とにかく(著者によって)強調されているのは、「聾者であること」がこの島では特殊ではなかった(周囲および当人たちが、「異常」なこととして認識してなかった)ということで、インタビューした島民のほとんどが、聾者である島民のことを「そういえば彼(彼女)は聾者だった」といった風に語ったという事実。読んでいるこちらも、最初はそういった感覚がものすごく新鮮に感じるのだが、同様の発言やエピソードが続いていくうちに、それこそが「普通」であるように思えてくるという不思議。島民は皆、臨機応変に英語と手話を使い分けていて、健聴者同士であっても(音を出してはならない場面や、離れて声が届かない時などは)手話を駆使していたという。

 

結局は「数」の問題と言えそうな部分もあるが、一方で状況によっては「線引き」のラインは案外容易に動かせる(動いている)ということのようにも思え、いわゆる「障がい」を持った(持つと見なされる)人たちが社会のなかで見えるか見えないかで、認識は大きく変わるのだろうと改めて思った。自らの感覚形成は、大きなイデオロギーよりも、すぐ隣とのコミュニケーションによって為されるものだと常々実感しているので、そうした証左としてヴィンヤード島にあった「事実」から学ぶことは少なくない。