『新しいアートのかたち——NFTアートは何を変えるか』施井泰平(平凡社新書)

新しいアートのかたち

 

ちなみに、著者の名は「しいたいへい」と読む。自身も現代美術家であり、デジタル・アートを扱う会社を設立している。解説はいずれもわかりやすく(例えば「ブロックチェーン」が何なのかを知らなかった私でも、そういった世界観にすんなりアクセスできるような書かれ方がされている)、批評的な観点も併せ持っている。NFTアートのみならず、その背景にあるアート業界の歴史や仕組みなどとの関連も捉えられているし、終盤に収められている3本の対談(対談相手は経済学者の坂井豊貴、キュレーターの山峰潤也、ジャーナリストの武田徹)も面白い内容。

 

もともとNFTアートに興味を持っていた訳でもなければ、そもそもNFTアートが何なのかすらも怪しいくらいの知識で読み始めた本書。そんな私でも実にわかりやすく、NFTアートが何であるのかをイメージすることができたし、それに留まらず、NFTアートをとりまく現状や今後の展望、可能性なども多角的に掘り下げられていて、最後まで興味深く読んだ。

 

NFTとは「ノンファンジブル・トークン(Non-Fungible Token)」であり、ファンジブル(fungible)であるとは代替できるということ。NFTアートはデジタルデータによって作られているにもかかわらず、それはいわば「複製不能」である唯一無二性を備えたものである。と、私は大雑把に理解したのだが、やはりそれらに直接「触れ」たり、自分で取り扱ったりしてみないと、その特性を本当に理解することは難しそうだ。

 

NFTアートが高額で取引されるようになったという事実もあって、本書ではその経緯や背景のみならず、そもそも「アートとお金」の仕組みを確認するところから話が始まり、従来のそれと新しい在り方の異同が整理されているので、NFTアートの長短をまずはフラットに理解することができる。

 

アートが価値を持つうえで、「所有」という概念はどうしても付きまとう。そこで唯一無二性(複製不可能であること)が重要な価値証明となるのだが、それが極めてわかりやすい物質である場合と非物質(データ)である場合、その違いは単なる五感で直接「触れられる」か否かだけの違いに留まるのか? そもそも、その違いとは同じ「所有」の概念の下における二つの方向性として片付けられるのか? そういった問いへの答えは、デジタル環境変遷のなかで更新されゆく人間の感覚によって刻一刻と変わっていくものかもしれない。

 

音楽や映画はいまや配信で楽しむ時代となって、その利用なしに享受すること自体が困難になっている。その一方で、音楽や映画をモノとして所有する習慣が普通であった世代にとって、配信という形式に「所有」が与えてくれた満足感を見いだすことは難しい。しかし、音楽や映画をモノとして所有するという体験がない世代にとっては、そもそも作品と自分との関係性そのものが根本的に異なっているのかもしれない。そう考えると、「所有」という従来のアートの価値を新しい技術で踏襲することで価値が担保されるNFTアートは、本質的にはまだモノとしてのアートの変形に留まっているようにも思える。NFTアートの真骨頂はおそらく、「所有」に代わる概念を宿した時にこそ発揮されるのかもしれない。