『カレル・チャペックの見たイギリス』カレル・チャペック(海山社)

原題:Anglické listy(英語訳 Letters from England)

栗栖茜 訳(2022年、海山社)

カレル・チャペックの見たイギリス

 

夏目漱石がロンドン留学をしていたのは1900年から1903年1903年生まれのジョージ・オーウェルが『1984年』を書き終えたのは1949年。本書に収められたイギリス滞在記がカレル・チャペックによって書かれたのは、1924年。そんな比較をしてみたくなったのは、漱石がロンドンに抱いた印象やジョージ・オーウェルが描いたディストピアの萌芽の性質に、カレル・チャペックが記した「イギリス像」と重なるものを感じたからだ。

 

イングランドでは、落ち着きある調和による秩序にチャペックは息苦しさを覚えるし、自律的な人々には自由よりも閉塞感が漂っているように思えてしまう。人の多さ、明白なる階級社会といった都市部への辟易はチャペックの皮肉を余すところなく引き出すが、そんな彼がスコットランドを旅すると、質朴とした自然と無骨な町を眺める眼は素直なものとなる。旺盛な好奇心が刺激され、北ウェールズへも足を伸ばすも、アイルランドには行けずに些かがっかりしてイングランドに戻ってくる。

 

チャペックが書いた戯曲「ロボット」の初演は1921年1月(プラハの国民劇場で)。その後、世界各国で上演されるようになる「ロボット」をチェコ以外で初めて上演したのがイギリスだという(1923年4月にロンドンで上演)。1924年にロンドンで開かれた国際ペンクラブの大会を機会にチャペックを招待しようという気運が高まり、ちょうど同年の同時期にウェンブリーで開かれていた世界博覧会の取材も兼ねるかたちで、チャペックはイギリスペンクラブの招待に応じてイギリスを訪れたのだという。(イギリスには約2ヶ月間滞在したらしい。)

 

「イギリス人」についての考察を端々に挿んだ滞在記ではあるが、本書には1930年と1934年に書かれた原稿も収録されており、そちらでは包括的に「イギリス人」についての感慨が述べられている。

 

「実際にイギリスまで出かけて、彼らのイギリスを見てみることです。そうすれば、イギリス人の習慣、彼らの控えめな善意、形式へのこだわり、単純さ、イギリスの生活に見られる百ものなにか異なって見える面がとっても好きになるはずです。ただ言えることは、島国の国民だけが、このさまざまな特徴のある、延々と続いているこの国の人たちのありようを発展させることができるのです。イギリス人の最大の長所は彼らの島国根性にあります。でもこの島国根性は彼らの最大の短所でもあるのです。」

 

「…物理的にせよ精神的にせよイギリスの大地に立っているかぎり、イギリスを好きになるのはきわめて容易なことです。ところが、この惑星のイギリス以外の国の立場に私たちが立つと、そのとたんにイギリス人と親しい友人になるのはなんだかむずかしくなるのです。イギリス人自身もよその国の立場や考え方なんぞに興味がないのではないでしょうかね。」

 

こうした島国根性は、日本人のそれとも重なって読めるし、より深化しているのが日本人のようにも思える。気質的にも似たところがあり、例えば列車で向かいの席に座った男が自分のことを一瞥すらせず、話しかけもしない例を挙げ、「その国では、だれも口をききたがらず、人と知り合いになるのが好きではないのさ。ところが、おれが下車しようとしたら、その男は起ち上がって、荷物棚にあるおれのスーツケースを取るのを手伝ってくれたんだよ。口もきかず、おれの方をろくに見なかったけどね」。

 

巻末には村上春樹が書いた「解説」が収められている(4頁分)。彼が「旅行をするときにまもっているいくつかの基本的なルール」のひとつが、できるだけ写真を撮らないということなんだとか。「カメラを持っているとつい写真を撮ってしまうので、できればカメラは持参しないようにして」いるのは、「写真を撮ると、それによってそこにある光景が正確に記録され、把握されたように錯覚してしまうから」。「正直言って、写真に写された光景なんておおかたの場合、実際の役には立たない。それよりは頭の中にしっかり焼き付けた光景の方が遙かに有用だ。そういう脳内の光景には写真とは違って確かな奥行きがあり、独自の匂いがある。そういう奥行きや匂いが文章を起ち上げてくれる」のだという。しかし、文章のみならず「素敵なスケッチもできる」チャペックさんのことはうらやましいと言う。「チャペックさんの描く絵は決してうまいというわけではないのだが、旅行中の彼の視線のあり方がとてもよく表れていて、見ていて「なるほど」と感心してしまう。そしてまた(おそらくは)その人柄に実にぴったり馴染んでいるのだ。そのスケッチを見ながら彼の文章を読んでいると、彼と一緒に知らない土地を旅をしているような親密な気持ちになってくる」。まさにその通りで、チャペックの絵は本文にとって重要な道連れであり、彼の眼と読者の心に橋を架けてくれている。