『VORTEX』ギャスパー・ノエ
原題:Vortex
監督:Gaspar Noé
(フランス映画祭2022にて鑑賞)
エンドロールから始まり、クレジットには氏名と共に生年が提示される。
開巻しばらくすると、画面は二分割される。その二つの画面は別の人物を追うこともあれば、一画面と変わらぬ画にただ「壁」があるだけのこともある。
認知症が進行していく老妻の行動を淡々と収めていく映像は、ドキュメンタリータッチと称することも可能だが、それに伴う老夫と息子の言動やそれらとのケミストリーは、劇的な様相を少しずつ呈してくる。
夫には20年来の不倫相手がおり、その彼女への恋慕を口にして憚らない。それが妻の公認なのか黙認なのか、あるいは知らぬふりで来た存在なのかは判然としないものの、認知症によって引き起こされると思しき妻の奇行も、長年自分を裏切り続けて来た夫への復讐として見始めると、本作は単なる認知症や老老介護を描いた社会派作品というよりも、異形なる愛憎劇、新種の復讐劇のように思えてくる。そして実際、その「復讐」は果たされたようにも…。
終盤の葬儀では、ゴダールの『軽蔑』で繰り返し流れるジョルジュ・ドルリューのテーマ曲が流される。同作でのカミーユ(ブリジット・バルドー)とポール(ミシェル・ピコリ)は、当時のゴダールとアンナ・カリーナが投影されていると言うが、本作の終わりでそのテーマが流される。夫を軽蔑していた妻の最期を共にしたのは「誰」だったのだろう。認知症とは、意識の表層を除去したあとに顕れる心根の暴走なのだろうか。
二人の孫であるキキは父ステファンに向かって尋ねる。
「ここが二人の新しいお家?」
ステファンは答える。
「いいや。お家は生きている人が住むところだよ」
映像には、二人が去って空っぽになった家をうつして終わる。
墓碑と共に。