『映画をめぐるディアローグ ゴダール/オフュルス全対話』

ジャン=リュック・ゴダール × マルセル・オフュルス

序文:ヴァンサン・ロヴィ、アンドレ・ガズュ

後記:ダニエル・コーン=ベンディット

福島勲 訳 (読書人、2022年)

 

ジャン=リュック・ゴダールマルセル・オフュルスが行った二度の公開対談(2002年、2009年)を収載した対談集。二人の対談が実現したのは、意外にもゴダールからマルセルに電話をかけたことに端を発するという。マルセルの『ホテル終着駅』をテレビ放送で観たゴダールが大いに感銘を受けてのことだった。しかし、対談(2002年)の中でゴダールは次のように語ってもいる。

 

「本当のことを言うと、わたしから人に声をかけることは、ほとんどありません。孤立状態で暮らしているのです。現在の映画界ともたいした交渉はありません。だから、つまりは君の作品を観て、感想を話したくなったということなのです。ほとんど話ができないというのは、すごく苦しい。たとえば、今ここでしているような議論です。いつも来てしまってから、そのことに苦しむのです。ここでの議論はかなりフワフワしたものですし、盛り上がりもほとんどなく、それなりに楽しくはありますが、それだけのことです。1800キロを移動してここに来て、1800キロを移動して家に帰るわけですが、一体、自分が何を得ただろうかと自問してしまいます。もちろん、目的はこの対談の場に来ることではありませんでした。今ここにいるのは、自らの意志で、マルセルに付き合っているだけです。なるほど、彼の映画をわたしはこれまで観てきませんでした。しかし、彼の『ホテル終着駅』は絶対的に素晴らしい映画だと思いました。……」

 

それに対して、マルセル・オフュルスが「1800キロの移動は無駄だったと思っているのかい」と尋ねると、ゴダールは、

 

「君とのことは無駄じゃないよ。喜んでしていることさ……。だけど、その後で別の場所に連れ出されて、難しい討論に参加させられるのはちょっとね。だって、シネクラブの黎明期、こう言ってよければ、その青春時代を僕は体験しているから、上映のすぐ後に議論をしたり、何かを言ったりするには限界があることを知っているんだ。時にはよいプレゼンターがいて、準備がなされていると、うまく行くこともあるさ。だけど、僕たちが行った議論はかなり平凡だったし、議論にすらなっていない。いくつかの質問に礼儀正しく答えているだけだ……。ただ、君の方は別の感じ方をしていて、何か売るものがあったのなら嬉しい。……」

 

これは2002年の対談の終盤に出てきたものだが、それまではマックス・オフュルスの作品を端緒に映画をめぐる各々の考察が、文学や美術などの分野にも横断しながら展開されていた。そこに唐突に吐き出されたゴダールの愚痴(?)に、シネフィルを名乗ることなど到底出来ない自分は勝手に親近感を覚えてしまった。そんな私がひときわ魅了されたゴダールの言葉は、2009年の対談でのものだ。

 

「人には、権利よりも先に、義務があると思うのです。人権だって同じことです。人権なんてものはありません。生きるためには、食べる権利ではなく、食べる義務があるのです。愛する義務があるのです。苦しむ義務があるのです。わたしたちに権利はありません。いかなる権利もです。権利とは法的な概念で、それは法律によって表現されます。」

 

ゴダールの最期を知っている今、彼がどのような意識のなかで生きてきたのかを象徴するような上記の言葉は、彼の最後の選択について考えるうえで示唆に富むように思える。

 

「訳者あとがき」(2022年8月に書かれた)の最後で訳者である福島勲は、出版準備中に急逝した青山真治との思い出を語り、「ゴダールを愛した青山監督に本書を捧げるとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」と締めくくっている。その直後にゴダール本人がこの世を去ったことを思うと、本書のめぐり合わせに奇特を感じてしまう。